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その5  被災地からのSOS

先日、大震災の発生から1週間余り後だったでしょうか。各地の避難先に孤立した人たちから寄せられた救出を求めるメッセージをNHKのアナウンサーが読み上げていました。岩手県の小さな集落からのメッセージに次のような一通がありました。

「食料も水も燃料の底をつきました。助けてください。この場所には隣の○○村から山道を来れば入れます。助けに来てください」。言葉は正確ではありませんがそんな内容でした。これを聞いたとき私ははっとしました。もしこれが明治期の函館近辺の村で起きた事態であったらと思ったのです。当時北海道には9万頭を超えるドサンコがいました。それに見合う人数の人たちがドサンコを使って働いていたわけです。ただちに救援隊を組織して避難先に向かったでしょう。

当時ドサンコは通常の仕事でも150キロの荷物を背中に載せて150キロを移動していました。どんな山道でも10頭いれば1トン以上の救援物資を運ぶことができたのです。帰り道では衰弱した人から順次ドサンコに載せて救出することもできたはずです。
 
 車は山道を行けません。仮に林道などが整備されていても、ガソリンがなければ動きません。また一ヶ所でも道が壊れていれば前に進めないでしょう。ドサンコなら人力による応急工事で迂回路を作るなどして進めるのです。
今回の災害では他にも多くの地域で住民が避難先で孤立し、救援物資が届かないというケースが報道されました。もしドサンコがいれば大いに活躍し得たのではないでしょうか。

時代を逆戻りさせようというのではありません。機械文明なしで現代社会が成り立たないのは当然です。ただこうした事態は現代社会の一面、馬との共生関係を強引に断ち切ってしまった社会の一つの弱点を如実に示していると思うのです。

機械文明と家畜使役の文化、車と馬との共存は可能なのです。山の麓までトラックで物資を運び、後をドサンコが引き継げばいいのです。ただし世の中のトラブルは大半が異質なものが出会うところ、その接点で生じます。たとえば山の麓でトラックと馬が出会ったとき、繋がれた馬が道にはみ出してトラックの行く手を阻むかもしれません。そんな時近くにいる人がごく自然に馬の轡を取って移動させることができなければなりません。

馬がクラクションの音に驚いて暴れだすかもしれません。トラックの運転手はクラクションを鳴らさない智慧を持つ必要があります。一方馬方は少々のクラクションでは驚かないように日頃から馬を訓練していなければなりません。こうした社会的条件が整ったとき初めて私たちはドサンコの活躍を期待できるわけです。明治期の函館にはそうした社会的条件が整っていたはずです。

何よりも重要なことは、社会全体が馬を知り、馬を共生の仲間として認知することです。馬に対する意識改革です。これさえできれば現代社会にもまだまだ馬を迎え入れる余地はさまざまな分野で残されています。

たとえば日本の国土の70%を占めるといわれる森林の荒廃、これを自動車の力で取り戻すことができるとは思えません。ドサンコなら徐々にでも手をつけることができます。

山の自然を切り刻んでコンクリートの自動車道を建設する発想をやめて、幅1メートルの自然な馬道を徐々に整備することに切り替えてはどうでしょうか。より多くの人が山に親しみ、山の恩恵を享受することにつながると思うのですがいかがでしょうか。

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