馬の生涯

寿命の形

馬の寿命については昔から議論が繰り返されてきました。にもかかわらずいまだに定説がありません。25歳まで、いや30歳前後まで、中には環境さえ良ければ45歳までは生きられると主張する学者もいます。それは何故なのか、というのがこのページの設問でした。

実は、答えははっきりしています。馬は天寿を全うするものが少なく色々な形で生涯を終えるからです。問題をはっきりさせるために2種の家畜の場合を見ておきます。犬と牛です。犬は1230万頭(ペットフード協会調べ2009)、肉用牛は約290万頭(農林水産省統計)飼育されています。馬は85000頭ですから比較にならない数ですね。

犬はペットですから事故死などを除いて大半が人と同じように病気や老衰による自然死の形で生を終えます。最近は犬の医療技術なども進んで随分寿命が伸びているようです。一方牛はある時期まで飼育されると一斉に殺されます。その時期は牛の肉が最も高く売れるようになったときです。牛の寿命は天に代わって人間が決めているわけです。(写真:シェルティー犬)

馬の寿命はこの両方の性格を兼ね備えているといえるでしょう。競走馬は転倒や衝突で二度と走れないと判断されると、その場で射殺されるか、厩舎に運ばれてから毒殺されるのが常です。日本では麻酔薬と毒薬の併用で安楽死?させる方法をとっているといいます。

そうかと思うと重賞レースで何回も優勝し、引退後は種オス馬として多くの優れた競走馬を残すといった幸運な馬もいます。そんな馬は役目を終わったあとも余生を牧場でのんびりと過ごし天寿をまっとうします。死後にはその功績を称える銅像が建つようなケースもまれではありません。

 「馬の生涯」の初めのところで登場してもらったオールド・マンなども幸せな馬のうちに入ると思います。競走馬を引退して乗馬クラブに引き取られ、とにかくも23歳まで生きたのですから。これからも老骨に鞭打ってまじめに働けば天寿をまっとうできるかも知れません。

 ところでこんなことがありました。乗馬クラブで割り当てられた馬を引き出すために厩舎に行ったところ相手の馬がぴたりと耳を伏せてきげんが悪そうなのです。声を掛けても壁をコツコツと叩いてみてもいっこうに反応がありません。

そんなときは素人はむやみ近づかないほうが良いと教えられます。どうしようかと迷っているうちにたまたま厩務員の一人が通りかかり、声を掛けて助けを求めました。彼は「分かりました」と気軽に引き受けて馬房に入り、馬の首に無口1を掛けようとしました。しかし馬は首を反対側にねじ曲げて抵抗します。
             *注1 無口頭絡−ハミをつけない頭絡、引き馬に用いる              騎乗の際はハミをかませこれに手綱をつないだ頭絡を用いる 
(写真左:馬房  写真右:無口をつけた馬  
 馬はいずれもこのエピソードの馬とは無関係)

 厩務員が馬の首に腕を回し、担ぎ上げるにようして向きを変えさせようとしたときです。突然馬が跳ね上がり、後肢で馬房の板壁を激しく蹴りました。ハッとしましたが驚いたのはその後です。厩務員が間髪をいれずに履いていた作業用の長靴で思い切り馬の腹を蹴り上げたのです。馬が板壁を蹴る音と長靴が腹に当たるバスッという音がほとんど同時に聞こえるほどの早業でした。どうなることかと見ていた私の目の前で馬は不思議におとなしくなり、厩務員の言うままに無口を受け入れていました。
 
 こんな体験を披露したのは厩務員の手荒い馬のしつけ方に感心したからではありません。忘れられないのはむしろその後です。
無口を掛け終わった厩務員は馬の首をぽんぽんと叩きながら優しく語りかけたのです。
 「ナーお前、こんなこといつまでもやってるとそのうち出されちまうぞ」
私にも意味ははっきり分かりました。「出される」とは、乗馬クラブから追放されて処分に出されるということです。人と馬の関わりの厳粛で残酷な一面を具体的に見たのはこのときが最初だったように思います。

ここで競走馬に関する統計の数字を見ておきます。農林水産省の2007年の資料でやや古いのですがその後も大勢は変わっていないと思われます。

馬の総飼育頭数8万5000頭のうち、競走馬の登録数は中央競馬と地方競馬合わせて約4万6000頭でこの数字は減少傾向がつづいています。競走馬の生産、つまり新しく生まれる子馬は年に約7400頭で、これもやや減少傾向にあります。子馬は2歳になると競走馬に登録されるための審査を受けますが、ここで不合格になり競走馬になれない馬も相当数に上るといいます。

一方、競馬から引退して登録を抹消される馬も毎年相当数います。競馬で活躍する馬は4歳から6歳が中心でそれ以降は急に数が減り、10歳以上はほとんどいないそうです。そうでなくても毎年7400頭生まれる若駒の何割かが新馬として入ってきます。総枠が46000頭で、しかもこれが減る傾向にあるのですから新馬が入ってくる分古馬は出て行かなければならない理屈です。

審査で不合格になった若駒と競馬から引退する古馬はどこかに新しい就職口を探さなければなりません。その数は毎年生まれる子馬の数7400頭に近い規模になるはずです。2 どこへ行けばよいのでしょうか。第一は乗用馬への転身です。

乗用馬の数は14000〜5000頭(同じ農林水産省の資料)で、これだけは嬉しいことに毎年少しづつ増える傾向にあります。とはいえ競馬界からあふれ出る馬をすべて受け入れられるとは考えられません。

 さらに乗用馬からも老衰や事故で働けなくなったり、蹴り癖や噛み癖といった悪癖がひどくなって「出される」馬がいます。結局これらの馬は、馬肉やペットフード、肥料などとしてそれぞれの業界に引き取られていくほかないはずです。
(写真:牧場で草を食む馬)

これが馬の生涯をめぐる厳粛な事実です。無論オーナーの思いやりで養老馬牧場に送られ静かに余生を過ごす幸せな馬もいます。しかし毎月の飼育料が30万とか、それ以上もかかるとすればこうした恩恵によくする馬がそれほど多いとは思えません。

こうした裏側の事情について関係者はあまり語りたがりません。マスコミなどもほとんど取り上げないようです。しかし言うか言わないかに関わらず、事実は経済の原理にしたがって勝手に動いていきます。馬は馬肉の値段より高い価値を生み出すことができる間だけ生きていられるのです。馬を社会に取り戻し、在来馬を絶滅から救うためには、できるだけ多くの人がこれらの事実をきちんと理解することがまず第一に必要なのではないでしょうか。

馬は可愛い、馬に癒される、などなど馬好きの愛情の表現は色々あります。しかし馬は現実の生きものです。人間が勝手に作り上げたイメージだけで「好きだ」と言っていても何も変わりません。言われた馬も困るでしょう。応えようがないはずです。せいぜい憂いを含んだ大きな眼でじろりと見返すくらいしか方法がないのではないでしょうか。

馬に接していると私たち人間がいかにイメージに依りかかって生きているかが分かってきます。話が飛びますが、たとえば古来宗教を持たない民族はなかったと言われます。宗教は信仰の立場に立てば人が生きるための根本的な基準になりますが、外から客観的に見れば人が頭で作り上げたイメージです。人類はこのイメージを支えに現実を克服して生きてきたのです。

ところが馬は宗教を持ちません。イメージに頼ることなく、現実を現実としてそのまま受け入れて生き、死んでいきます。人と馬の間にあるこの根本的な違いを無くすことはできません。しかし馬に向き合おうとする者は知っていなければならないと思います。馬房で板壁を蹴った馬とそれをなだめた厩務員のコトバはこのことを教えてくれたような気がします。

2 これは統計の数字からの私の推論です。もし間違いがあれば教えていただきたいと思います。

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