2章 無我のニヒリズム

〜原始仏教の自己理論〜

 この章では原始仏教の無我説を取り上げる。無我説は、原始仏教の中でも最も早く成立した教説である。釈迦その人の思索と冥想の特徴を色濃く反映していると思われ、文字通り仏教の原点に位置する。仏教はその後広くアジアに広がり,さまざまな思想を形成してきたが、そのすべてはこの無我説から流れ出たといえる。

T 無我説ー三法印

無我説の中心テーマは「自己とは何か」である。現代の言葉でいえば自己理論である。原始仏教の人々は共同体の神々を捨て、古いしがらみを断ちきって<個>として独立した自由人であった。だがそのことは同時に、個体の死の運命を自ら背負って生きることを意味していた。かれらは戦乱と飢餓と疫病の恐怖の中で、死ねば朽ち果てる肉体を凝視しながら、この不合理はいったい何なのか、<私>とはいったい何者なのか、何を拠り所として生きることができるのかと問い続けた。

ウパニシャッドの哲学は、肉体の内奥にアートマン(不滅の霊魂)が潜んでいる、修行によってこれを見出せばブラフマン(宇宙の摂理)に合一して不滅の生命を得ることができると教えていた。原始仏教の修行者は先人の教えにしたがって、アートマンを求めて懸命に思索し修行した。無一物で山野をさ迷い、樹の根本に座って瞑想した。しかし自己の内側に不滅の霊魂を見出すことはできなかった。

「無我」という言葉は第一にこの結論を指している。「我(=アートマン)が無い」、自己の中にアートマンといった依るべき生存の根拠は見当たらないという意味である。かれらはこの結論から人類史上にも例を見ないユニークな哲学を練り上げていった。それが無我説である。その考えかたは、後に原始仏教の「三法印」と呼ばれるようになった三つの言葉の中に凝縮して表現されている。三法印とは仏法の三つの旗印という意味で、この三つの教えが揃っていれば仏教である、揃っていなければ仏教とはいえないという意味での印である。原始仏教の三法印は漢訳仏典で次ぎのように表現される。

        「諸行無常」 sabbe samkhara anicca (-ベ サンカ- アニッチャ)

        「一切皆苦」 sabbe sammkhara dukkha(-ベ サンカ- ドゥッカ)

        「諸法無我」 sabbe dhamma anatta (-ベ ダンマ アナッタ)

(あとの便宜のためにパーリ語の原語を添える)

仏教は中国を経て日本に伝わった。したがって私たちは他の仏教用語と同様、三法印についてもこのような簡潔な漢語表現で親しんできた。それらは古代中国の優れた訳経僧たちが苦心の末インドの言葉を漢語に置き換えたものである。ところが中国人はいったん訳語が定着してしまうと、その後は一切インドの原典を省みなかったようである。その為に原典は散逸して中国には残っていないという。これに対して日本人は中国の仏典を漢語のままで受け入れ、近代に至るまでついに日本語に翻訳することをしなかった。まさに正反対の行き方で、民族の性格の現れとして興味深いものがある。

しかしそれだけに漢訳仏典は中国的な考え方に染まっている。また経典の内容自体もパーリ語の原典との間に大きなずれがある。そこで釈迦の時代の仏教に近づく為に、ここでは漢訳仏典ではなくできるだけ原典からの直接訳で読んでいくことにする。

原始仏教の三法印は経典「ダンマパダ」の中で端的に次のように述べられている。

  「ダンマパダ」 20章      

 (277)「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、
     人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

 (278)「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、
     人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

 (279)「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と明らかな智慧をもって観るときに、
     人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

                  「真理のことば・感興のことば」 中村元訳・岩波文庫

各条の( )内の言葉「諸行無常」「一切皆苦」「諸法無我」が漢訳仏典の三法印に相当する。それは「無常・苦・無我」という三つのキーワードから成っている。そして原典では三つのキー・ワードに続いて、

「…と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である」

という言葉が繰り返されている。原始仏教を理解する上でこのリフレインは重要な意味を持っているが、ここではまず「無常・苦・無我」という三つのキーワードを取り上げてその内容を検討したい。

なお三法印という言葉は日本の大乗仏教にもあるが、内容はやや違っていることに注意しておきたい。大乗のそれは、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」である。大乗の方には「一切皆苦」がなくて、代わりに「涅槃寂静」が加わっている。この違いは仏教史の中の重要な思想の変遷を示していて興味深い。簡単にいえば、この世を「苦の世界」と観ずることよりも、「極楽浄土」のような理想境を求める動機の方が強くなったのである。

  

(1) 「無常」について

「無常」は原語で「アニッチャanicca」、常恒のものではない、永遠に続くものではない、不滅ではないという意味である。したがって三法印の第1条は直訳すれば、

    「諸行無常」 sabbe samkhara anicca (-ベ サンカ- アニッチャ)
   すべては常恒のものではない、滅するものである

ということになるだろう。このような認識はどのようにして成立したのであろうか。また具体的に何を意味したのであろうか。経典の言葉を見ていく。

 スッタニパータ 1蛇の章 11 「勝利」            

  (200)身体が死んで臥すときには、膨れて、青黒くなり、墓場に捨てられて、親族もこれを顧みない。
  (201)犬や野狐や狼や虫類がこれを食らい、烏や鷲やその他の生きものがこれを啄む。
       202)この世において智慧ある修行者は覚った人(ブッダ)のことばを聞いて、このことを完全に了解する。
      何となればかれは如実に見るからである。

                「ブッダのことば」(スッタニパータ)中村元訳・岩波文庫

1章で見たように、仏教が成立した頃インドの文明の中心は東インドのガンジス河の中流域に移っていた。しかもやがて現れる大統一帝国への過渡期として激しい戦乱の世であった。中央インドにはなお古いバラモン国家が健在であったが、東インドではすでに共同体の絆を離れた諸個人からなる都市国家が栄え、互いに覇権を争っていた。当時の人々はいつ他国の象軍に踏み潰されるか、夜盗の兇刃に倒れるのかと、死の恐怖に怯えていた。疫病と飢えが容赦なく人々の命を奪っていった。仏教が生まれたのはまさにそうした状況の東インドにおいてであった。

上に引いた経の言葉はそうした社会の現実の描写である。インドでは普通、遺体は焼いて灰を河か海に流すが、それもできなくて野に捨てられて墓場になっていたのである。どこからも救いの手は差し伸べられない。ヴェーダの神々はすでに神話の世界に退き、かつて呪文を唱えて幸せを呼んでくれたバラモンの長老も都市からはとっくに姿を消していた。かれらは、なぜこの世はこうも苦しいのか、なぜこんなところに生まれて来たのかと我が身を呪う他なかった。無我説は当時の人々が発したこうした問いに対する釈迦の答えであった。

  スッタニパータ      3 大いなる章 8 「矢」

   (574)この世における人々の命は、定相なく、どれだけ生きられるか分からない。
      惨ましく、短くて、苦悩に繋がれている。

   (575)生まれた者どもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死が来る。
      実に生ある者どもの定めは、この通りである。

   (579)かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず、
      親族もその親族を救わない。

   580)見よ。見守っている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、人は一人ずつ、
       屠所に引かれる牛のように、連れ去られる。

私たち日本人が古来「無常」という言葉に思い描いて来たのは「はかなさ」ということではなかろうか。「花の命は短くて・・」「奢れるもの久しからず・・」。滅び行くものへの哀感である。そこに漂う美意識が数々の文学を生んできた。それは「無常」という仏教用語への一つの優れた理解だったと思う。しかし原始仏教の経典に見る「無常」は、これとは趣を異にしている。それは何よりも、「人の死」というあからさまな事実への凝視であった。

  ウダーナヴァルガ 1 無常

   (4) 何の喜びがあろうか。何の喜びがあろうか?―(世間)はこのように燃え立っているのに。
      汝らは暗黒に陥っていて、灯明を求めようとしない。

   (5)あちこちの方角に投げ捨てられ撒き散らされたこの鳩色のような白い骨を見ては、
     この世に何の快さがあろうか。

   (7)  朝には多くの人々を見かけるが、夕べにはある人々の姿が見られない。
     夕べには多くの人々を見かけるが、朝にはある人々の姿が見られない。

   (8)  「私は若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が自分の命を当てにしていてよいだろうか?
      若い人々でも死んでいくのだ。―男でも女でも、次から次とー。

   (9)  ある者どもは母胎の中で滅びてしまう。ある者どもは産婦の家で死んでしまう。
     またある者どもは這いまわっているうちに、ある者どもは駈け廻っているうちに死んしまう。

  
   (12) 陶工の作った土器のように、人の命も終には壊(ヤブ) れてしまう。

   (14)  死刑囚が一歩一歩と歩んで行って、刑場におもむくように、人の命も同様である。

                             「真理のことば・感興のことば」  中村元訳・岩波文庫

経典のこの章は42句からなっているが、そのすべてにわたってこのように人間の死の事実を凝視している。そして最後に、

   (42)  それ故に、修行僧らは、つねに瞑想を楽しみ、心を安定統一して、つとめはげみ、
       生と老いとの究極を見きわめ、悪魔とその軍勢に打ち克って、生死の彼岸に達する者となれ。

と結んでいる。

 「無常」とは仏教の原点において、何よりもまず人間の死の事実を指していたのである。死について語る経はこのほかにも無数にある。それらは、人である限りどんな人でも、どこにいても、いつ生まれてきても、どんなことをしても死ぬのだと、あらゆるケ−スをあげて克明に説いている。2500年にわたる仏教の歴史はこの厳しい現実認識から始まった。原始仏教の人々は、この死すべき人間の運命、いや死すべき人間そのものを指して、常恒でないもの「無常」と呼んだのである。  

  死すべきもの

人間いつかは死ななければならないことは、私たちにとってはもはや当たり前のことになっている。私たち日本人もいまでは昔のように無常の中に滅び行くものの美学を見るのでなく、当たり前の、あからさまな事実として死を受け止める傾向が強くなっているように思える。私たちの時代は原始仏教の時代に似かよってきているのかもしれない。しかし当時の人々には私たちとはまったく異なる側面があった。人類史上はじめて共同体の絆を離れて独り立ちした諸個人にとって、死はかつて経験したことのない新鮮で残酷な驚きだったのである。

そこから「それはなぜか」「どうせ死ぬのなら今生きていることにいったいどんな意味があるのか」「人間とはいったい何ものなのか」と考え始めた。それは根源的な問いであった。ヴェ−ダの宗教の共同体に所属していた頃、人々はこのような恐怖の現実を見なかったはずである。かれらは共同体の運命を共に生き、自らの存在の意味を共同体に託すことができたからである。

宗教はある意味で自分の後生を託すものを求めることともいえる。たとえば日本の昔の人は子や孫に後を託して死んでいった。家の子孫が栄えていくこと、自分の死後かれらが先祖供養をきちんとやってくれることが保証されると安らかに死ぬことができた。現代の老人はそうはいかない。長く日本人の心を支えてきた「家」の思想が廃れ、代わりにアメリカ式の個人主義が普及して子孫は後生を託すべき対象ではなくなったからである。人はこれまで生きてきたことの意味を自ら見つけなければならない。いわゆる老人問題の最大の要素はこの点にあるのではなかろうか。

やや時代が降ると経典のなかで「無常」は次のようなまとまった形で説かれるようになる。

『無常』   (南伝 相応部経典 22−13)

    かように私は聞いた。・・・(中略)・・・世尊はこのように説きたもうた。

        「比丘たちよ、色(肉体)は無常である。       
       
比丘たちよ、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、そのように観て、色を厭い離れる。
    厭い離るれば貪欲を離れる。貪欲を離るれば解脱する。解脱すれば、解脱したとの智を生じて、
    <わが迷いの生はすでに尽きた。清浄の行はすでになった。

         作すべきことはすでに弁じた。この上は、もはや迷いの生を繰り返すことはないであろうと知るのである。
    (以下略)

          比丘たちよ、受(感覚)は無常である。・・・
    比丘たちよ、想(表象)は無常である。・・・
        比丘たちよ、行(意志)は無常である。・・・       
       
比丘たちよ、識(意識)は無常である。・・・

    比丘たちよ、私の教えを聞いた聖なる弟子たちは…
                      
(以下前の文の繰り返し)・・・」

                        増谷文雄訳「阿含経典」第2巻

ここには五蘊説と呼ばれる原始仏教の人間分析の哲学がある。

 五蘊説

「蘊ウン」とは「集まり」という意味である。五蘊説は人間存在を五つの要素の集まりと見る。経にある「色・受・想・行・識」はその五つの要素である。各要素のうち、<色シキ>は色と形のあるもの、すなわち物質であり、その代表は人間の肉体である。以下が精神活動の分析で、<受ジュ>は外界からの刺激を受け止める作用としての感覚、<想ソウ>は受け止めたものについて心の中にできる表象=イメ−ジ。<行ギョウ >は非常に難解で学者の解説もさまざまだが、とにかく心の中にできたイメ−ジに対して、好きとか嫌いとか心を動かすこと、心の側からイメ−ジに関わっていく作用のことである。最後の<識シキ>は、意識、あるいは認識である。

つまり五蘊説は、外界の刺激を感覚で受け止めてから脳の中に認識が成立するまでの過程の分析、古代インドの心理学といってよい。人間はこの五つの要素からできている、人間存在はイコール五蘊(色・受・想・行・識)だというのがこの考え方の結論である。要素というと何か固定的に「存在するもの」という感じがするが、そうではなくて「作用(=働き)」の集まりである。西洋で形成された「知・情・意」の静的な分類法に比べて構造的に考えられているところが特色ではなかろうか。すべての存在を「創造されたもの」とした古代イスラエルの考え方と違って、「生成するもの」としてとらえたインド人の思惟方法が出ていて興味を引かれる。

五蘊(色・受・想・行・識)の説明は以上にして、上記の経に戻る。経は、五蘊(色・受・想・行・識)の要素を一々点検した結果そのすべては無常である、随ってその集まりである人間存在は無常なるものであると言っている。すべては死に絶えるもの、過ぎ行くものである。無我説は自己の内側に向けて五蘊(色・受・想・行・識)の各要素をたどりながら自己の永遠の拠り所を求めて思索した。その結果そこには何の拠り所も無い、すべては無常であるという結論に到達したわけである。それは原始仏教の人々の自己確認であった。

この認識はやがて<世界>についての考え方にも及んでいった。1章で見たようにかれらは徹底して人間中心的に世界を見ていた。世界 (loka=世間)とは、かれらにとって自己に関わる周囲の事物のことであった。その周囲の世界を見渡しても永遠なるものは何一つ存在しないと考えた。ものは壊れ,植物は枯れ、動物は死ぬ。「諸行無常」の認識はこのようにして成立した。世の中に恒常のものは何もない、すべては移ろい、滅びいくものであった。

しかしこれだけでは一つの厭世観に過ぎない。なぜこの世は苦しいのか、どう生きればよいのかという問いに対する回答にはなり得ない。私たちはここで三法印の経にあったリフレインを検討しなければならないだろう。

    (277)「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、
        人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。


「明らかな智慧をもって」とは煩悩に迷わされず、ものごとをありのままに見ることである。そうすれば苦しみから逃れることができると経はいう。同時に「清らかになる道」、言い換えれば悟りの世界への道が開けるという。平易にいえば、無常の運命をありのままに受け止めよ、そうすれば苦しみはなくなるということになる。これはいったい何を意味するのであろうか。常識的に考えればそんなことはないはずである。人間みんな死ぬのだと納得してみたところで、現実の苦しみ、たとえば腰痛が治るわけではない。屁理屈のようだが原始仏教の経典を読む場合こういう疑問を疎かにしてはならない。経典の言葉は非常に合理的、論理的であると同時にきわめて現実的・具体的だからである。

「無常」の運命をありのままに観ればなぜ苦しみから逃れるのか、この疑問を頭におきながら次のキーワード「苦」について経典の説くところを見ていこう。


   
(2) 「苦」について

三法印の第2条は第1条と同様に次ぎのように直訳できるだろう。

    「一切皆苦」 sabbe sammkhara dukkha(-ベ サンカ- ドゥッカ)

   この世は一切が苦である

やや時代が下がった経典に『苦』と題する経がある。先に引いた『無常』の経とセットになっている経で、「無常」という言葉が「苦」に代わっている他はすべて同文である。

『苦』   (南伝 相応部経典 22−13)

   かように私は聞いた。・・・(中略)・・・世尊はこのように説きたもうた。

   「比丘たちよ、色(肉体)は苦である。

   比丘たちよ、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、そのように観て、色を厭い離れる。
   厭い離るれば貪欲を離れる。貪欲を離るれば解脱する。解脱すれば、解脱したとの智を生じて、
   <わが迷いの生はすでに尽きた。清浄の行はすでになった。

   作すべきことはすでに弁じた。この上は、もはや迷いの生を繰り返すことはないであろう>と
   知るのである。(以下略)

    比丘たちよ、受(感覚)は苦である。・・・
    比丘たちよ、想(表象)は苦である。・・・
    比丘たちよ、行(意志)は苦である。・・・
    比丘たちよ、識(意識)は苦である。・・・
        比丘たちよ、わたしの教えを聞いた・・(前の文の繰り返し)・・・」

                        増谷文雄訳「阿含経典」第2巻

経は先にコメントした五蘊(色・受・想・行・識)の要素を一つ一つ取り上げて「それは苦である」と繰り返している。そして「苦である」ことが本当にわかれば解脱できると説いている。「一切皆苦」とは、このようにして各要素を点検した結果すべてが苦だから、その要素の集まりである人間存在はすべて「苦」だといっているのである。しかし「感覚は苦である、認識は苦である」という言葉はいったい何を意味するのであろうか。ここにいう「苦」を日本語の「苦しみ」と考えて読む限り経の意味を理解することは不可能だろう。

「苦」とは何か

漢訳仏典の「苦」の原語はdukkhaである。このdukkhaは実は日本語の苦しみとは違う意味を持っている。中村元博士によれば、dukkha  という語はもともと「うまく行かぬ」「…し難い」「…するのが難しい」という意味だったそうである。これが「希望通りならぬこと」となり、さらに転じて「苦しみ」「悩み」を意味するようになったという。そしてついにはインド思想史上の中心観念の一つになったと氏は解説している。

dukkha”とは<ままならぬ>何事かがあって、そこから生まれてくる苦しみ、悩みなのである。この点は重要だと思う。日本語の「苦しみ」は、単に身体や心の苦しい状態を指している。ところが  dukkha  は何か欲しいもの、やりたいことがあって、それがうまくいかないときに生まれてくる苦しみ、悩みなのである。欲望は常にさえぎられて挫折する。なぜならすべては無常、つまり過ぎ行くものだからである。欲望を成就したと思うとそれは何か別のものに変化したり無くなってしまっていたりする。遮られて挫折した欲望、これがdukkha (=苦)の正体なのである。釈迦が滅しようとした苦しみはこのdukkhaであった。

こう考えれば『苦』と題する上の経も理解できるものになるだろう。欲望がなくなればそれが挫折することはなく、「苦dukkha」は生じないからである。「受(感覚)は苦である」というのも、受=私たちの感覚器官、たとえば私たちの眼は常により美しいものを見たい、もっと遠くを見たいと望んでいる。その希望が遮られたとき苦が生じることは理解できる。眼は常に「苦(dukkha)」と同居しているわけである。

無欲

人は<個人>として古い共同体から解き放たれたとき、一斉に欲望を開花させた。しかしそれは「諸行無常」の原理の前で常に挫折し、苦=dukkhaに変わる性格のものであった。釈迦は現実の苦しみの原因を追求する中でこのことを発見した。そのとき「一切皆苦」の認識が成立した。そしてそこから「無欲」すなわち欲望を滅せよという実践の教えが導かれたのである。『苦』と題する上の経は、人間はどこをとっても貪欲にまみれている、そうである限り苦を逃れる道はない、貪欲を厭い離れよ、そうすれば救われると教えているのである。欲望と苦(dukkha)の関係を説く経は無数にある。次ぎの経はその一つである。

「スッタニパ−タ」4八つの詩句  1 『欲望』              

    (767) 欲望をかなえたいと望み、貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、
        かれは矢に射られたかのように悩み苦しむ。

    (769)田畑・宅地・黄金・牛馬・奴婢・雇い人・婦女・親族、その他いろいろの欲望を貪り求める人がいると、

    770)無力なるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち、危難がかれをふみにじる。
        それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊れた船に水が侵入するように。

                            「ブッダのことば」岩波文庫

財産、金、女、名誉、権力。今の社会にある人間の欲望は当時すでに出そろっていた。そのすべてが<苦>に変化していく。仏教は、人が「苦」から逃れる道を求めることから出発したことを忘れてはならない。釈迦はこの問いに対して、「無欲」を説いた。また「知足」、すなわち足ることを知れと教えたのである。

経典にはこのほかにも欲望についての多くの分析が見られる。「サンユッタ・ニカ−ヤ」には神と釈迦のこんな対話が記されている。

  サンユッタ・ニカーヤ第1編 7 6節 『圧迫されて』

      神いわく注2、―

      「世の人々は何によって圧迫されているのであるか?何によって囲まれているのであるか?
      いかなる矢に刺されているのであるか?何によって常に燻べられているのであるか?」


      尊師いわく、―

      「世の人々は死によって圧迫され、老いの矢に囲まれ、愛欲の矢に刺され、
       常に欲望によって燻べられている。」

                       中村元訳「神々との対話」(岩波文庫)

釈迦は、人間存在は常にこの欲望に燻べられていること、この欲望は必ず挫折する性質のものであること、そして満たされない欲望はあらゆる方向に駆けめぐることを見ぬいていた。「無常」の教義は、人の死の事実を凝視することによって、死すべきものとしての人間の在り様を確認したものであった。「苦」の教義は、欲望に燻べられている人間、したがって常にいたるところで「苦(dukkha)」と共にある人間の在り様を確認したものといえる。

フロイト以来、精神分析は人の欲求心理についてさまざまな理論を構築してきた。しかしすでに2500年前、原始仏教の人たちが人間の内部に普遍的に潜む欲望を対象化してとらえ、その働きを分析していたことは驚きに値するのではなかろうか。初期の経典は<無意識>について語っていない。しかし原始仏教にいう欲望は人間を内部から突き動かして止まない根源的な情動を指している。それはフロイトが「欲動Trieb注3という言葉で表現しようとしたものと酷似している。

  貪・瞋・痴

いつだったか経典にいう「苦dukkha」の理解に苦しんでいた頃、ヴィパッサナ・メディテ−ション(ミャンマ−系仏教の修行法)の導師が漢訳仏典にいう「三毒」についてTVで話しているのを聞いたことがある。三毒とは「貪(トン) raga・瞋(ジン) dosa ・痴() moha」、すなわち「むさぼり・怒り・愚かさ」の三つで、これらは原始仏教の頃すでに煩悩の代表としてあげられていたものである。導師はアメ−バ運動の喩で説いていた。アメ−バの細胞を顕微鏡で見ると、伸びたり縮じんだりしながら、止むことなく、落ち着きなく、方向性もなく、ただ無闇にうごめいている。外部から何かの刺激が与えられると、一瞬急に収縮したり、逆に激しく動き回ったりする。導師はこれについて「細胞が自らの不完全さに苛立って苦しんでいる姿だ」と解説していた。無数の細胞の塊である私たちも同じように、何かが足りない、何かが足りないと、ただ無秩序に動き回っているのだという。そしてヴィパッサナの観法を修行して智慧を得れば、どの方向にどう動けばよいかが分かって、無闇に動き回るのを止められるようになる、と説いていた。

この話を聞いたとき、苦(dukkha)とはまさにこれだと思った。止むことなく、どこまでもうごめき続けるのが「貪」=むさぼりである。何か不快な刺激に出会って一瞬激しく反応するのが「瞋」=怒りである。そしてどう動けばよいか分からず、無方向にうごめき続けている状態が「痴」すなわち愚かさである。ついでにいえば、仏教にいう「無明」とは、そんなふうに智慧もなく、ただうごめいて生きている私たちの生存のあり方そのものをいうのだと思う。

  
  ダンマパダ 16愛するもの       

    

    212愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる、愛するものを 離れるならば、
      憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか。

    214快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生ずる。快楽から離れたならば、憂いは存在しない。
       どうして恐れることがあろうか。

                    「真理のことば・感興のことば」岩波文庫

 スッタニパータ 1 蛇の章 8慈しみ

           143究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して成すべきことは、次の通りである。…

           144足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、…貪ることがない。

                                 「ブッダのことば」

この二つの経は、欲望を制御することでこうした人間存在の在り様を克服する道を説いている。それが「苦しみから遠ざかり離れ、清らかになる道」、すなわち解脱への道であった。

日本でも「ままならぬのが世の常」という。これは「一切皆苦」の日本版といえる。誰かが「一切皆苦」をこのように訳したのかもしれない。そうだとすれば見事に元の意味を表現しているといえる。しかしこの言葉には、「どうせ世の中そんなものだ」という情緒的な雰囲気が漂い、「だから無理するな」と諦めを奨めるニュアンスが伴っている。これに対して古代インドの「一切皆苦」は、理詰めで探究した真理として提起され、「だから苦を克服するために解脱せよ」と教えているのである。


 () 「無我」について

三法印の第3条は無我説の根幹であり、結論と言える。

            「諸法無我」 sabbe dhamma anatta (-ベ ダンマ アナッタ)
      
「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)

先にも指摘したように中村博士は「諸法非我(一切の事物は我ならざるものである)」と訳しているが、一般には「諸法無我」と訳されることが多い。両者とも原語は「我atta」の否定形anattaである[4]。ここでの「我atta」は人間存在の拠り所、すなわちウパニシャッドの哲学にいうアートマン(=不滅の霊魂)と考えて一応理解できるだろう。「諸法無我」について仏教辞典を見ると、「いかなる存在も不変の本質を持たない」と解説されている。不変とは、滅びることのない、永遠の、という意味である。これは大乗仏教の初期にナーガール・ジュナ(竜樹)によって確立された空の教説(空観)に基づくもので、日本の仏教ではほぼ確定した理解になっているといってよいだろう。しかし原始仏教の「無我」は最初からこうした哲学的な認識を語る言葉として成立したわけではない。

 無我説の原形

原始仏教は当然のこととしてまず実践の宗教であった。したがって「無我」という言葉も、原始仏教の人たちにとって実践的な意味を担っていた。かれらは自己の死すべき運命を自覚し、すべては滅するものであることを確認した。さらに苦しみの原因を追究して欲望を発見し、苦を離れるために欲望を滅しなければならないと考えた。すなわち無欲である。この無欲の究極の姿としてかれらは「無我」を掲げたのである。それは一言でいえば「我執を去れ」という実践のスローガンであった。

 スッタニパ−タ  
   第4 八つの詩句の章 1 欲望

           (777) (何ものかを)わがものであると執著して動揺している人々を見よ。
        (かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。
        これを見て、「わがもの」という思いを離れて行うべきである。
        ―
  諸々の生存に対して執著することなしに。

                         「ブッダのことば」中村元訳・岩波文庫

   同     6 老い

           806 人が「これはわがものである」と考えるもの−それは(その人の)死によって失われる。
         我に従う人は賢明にこの理を知って、わがものという観念に向かってはならない。

無我の教説はこのように、「執着」「こだわり」「妄執」「慢心」「わがもの」「われありとみなす見解」などなどの言葉で縦横に説かれている。直接に「無我」あるいは「非我」という語が現れるケ−スは、むしろ少ない。ところが時代を経るにつれて、こうした修行者たちの実践に分析が加えられ、さまざまな欲望の中でも「執着」と「我執」が最も厄介なものであることがはっきりしてくる。

 ダンマパダ 27章   観察

         人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている。このことわりをある人々は知らない。
    実にかれらはそれを(身に刺さった)矢であるとはみなさない。

          ところがこれを、人々が執著しこだわっている矢であるとあらかじめ見た人は、
    「われが為す」という観念に害されることもないし、「他人が為す」という観念に害されることもないであろう。

          この世の中の人々は慢心をもっていて、常に慢心にへばりつかれている。
    悪い見解にとりつかれていては、努力しても生死流転を越えることはできない。

                「真理のことば・感興のことば」  中村元訳・岩波文庫

<自我>という観念にたより、とらわれることがすなわち「我執」である。経の言葉は、釈迦の教えとして受け取ることもできるが、仏弟子たちの告白の言葉として読むこともできる。修行者たちにとってこの「我執」は最後まで心にへばりついて離れない毒矢であった。この「我執」の発見こそ無我説の核心であった。「執著」は、単に欲望の一種ではない。それは人間に固有の欲望の形態であった。そして修行者たちが最後に発見した「我執」は執着の中でも「個としての人間」、すなわち「個人」にどうしようもなくへばりつく欲望の在り様であった。「無我」とはこの「我執」の否定なのである。それは「我への執着を捨てよ」という実践のスローガンと「我とは何の根拠もない虚妄の<自我観念>に過ぎない」という自己認識との統一であった。こうして無我説は次第に哲学的な理論として練り上げられていく。

 『無我なるもの』   (南伝 相応部経典 22−17)

           かように私は聞いた。・・(前文略)・・世尊はこのように説きたもうた。

          「比丘たちよ、

           色(肉体)は無我である。

           無我なるものは、わが所有にあらず、わが我にあらず、またわが本体にもあらず。
     まことに、かくのごとく、正しき智慧を持って観るがよい。

           受(感覚)は無我である。・・(「無我なるものは・・」の繰り返し)
          想(表象)は無我である。・・・
          行(意志)は無我である。・・・
          識(意識)は無我である。・・・

          比丘たちよ、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、そのように観て、識を厭い離れる。
     厭い離るれば貪欲を離れる。貪欲を離るれば解脱するのである。・・(以下略)」

                       増谷文雄訳  「阿含経典」第2巻(筑摩書房)

この経は、先にひいた『無常』や『苦』と同じ仲間に入るもので、無我説がほぼ完成した姿を示している。例によって「色・受・想・行・識」の五蘊の要素をいちいち取り上げて、それは無我だという。しかし違う所がある。『無常』や『苦』の経では「無常である」「苦である」ことを正しく観て、貪欲を厭い離れて、解脱せよと言うだけであった。ところがこの経ではそれに続いて、

     無我なるものは、わが所有にあらず、わが我にあらず、またわが本体にもあらず

という言葉を繰り返している。このリフレインこそ原始仏教が<自己>をどのように考えていたか知る大きな手掛かりである。最初の「わが所有」は、私の<所有物>、つまり私の自由になるものである。たとえば<色>すなわち私の肉体は、私の意図に反して病み、傷つき死んでいく。所有物の様に私の自由にはならない。したがって「我が所有にあらず」である。肉体を私の<自己>と考えることはできないわけである。

次に「わが我」は、今の言葉でいえばアイデンティティー、自己同一性と考えれば分かり易い。私という存在は時々刻々変化している。今日の私は昨日の私ではない、明日の私は今日の私ではない。にもかかわらず今日の私を昨日の私と同じ人間だとなぜ言えるのか。私は他でもないこの私なのだと思う意識、その根拠がアイデンティティーである。経の「わが我にあらず」は、五蘊(色・受・想・行・識)の各要素はすべて変化するもの、過ぎ去るもの、無常なるもので、どれ一つを取ってもそうした自己の同一性を保証してくれるものはない、だからアイデンティティーといったものは、本当は無いのだと言っているのである。

最後の「我が本体」は、ウパニシャッドの哲学にいうアートマン、すなわち永遠不滅の自己(霊魂)を指している。「我が本体にあらず」は自己の内側をどんなに丹念に調べてみても先人の教えたアートマンといったものは見当たらないというのである。これこそ原始仏教がウパニシャッドの哲学を否定して自らの立場を宣言した言葉である。無我説の核心といえるだろう。もう一つ無我説の完成した姿を示す経をあげておく。

  12 二種の観察

          (756)見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、名称と形態(注5)とに執著している。
        「これこそ真理である」と考えている。

          (757)あるものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものはそれとは異なったものとなる。
       何となれば、その(愚者)のその(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。

                        「ブッダのことば」岩波文庫

こうして「諸行無常」「一切皆苦」に続いて「諸法無我」が成立し、三法印が揃った。「諸法無我」の意味を平易にいえば、世界の中心にいると思っている自己自身も、実は自立の根拠を持たない、いたって頼りない幻影のような存在にすぎない、だからそうした自己へのこだわり(我執)を捨てよというのである。

以上、無我説のキーワードである「無常−苦−無我」の内容を見てきた。整理するとそれぞれのキーワードの背景に次ぎのような心の営みがあったことが分かる。

    「諸行無常」−「死」の凝視

    「一切皆苦」−「欲望」の発見

    「諸法無我」−「執着と我執」の発見

<欲望>はすべての生きものに普遍的なもので、<執着>は人間に固有の感情である。そして中でも<我執>は共同体から独立した「個人」にどこまでもへばりつく毒矢のようなものであった。無我説は苦を逃れるためにこれらの欲望を取り払え,欲望を滅せよと教えた。

しかし滅するべき欲望の中には生命への愛着、肉体的な生存欲が含まれている。「無我=我執を去れ」というときの我執は、見方を変えれば生存への意志そのものである。原始仏教は、それらすべてが虚妄であって何の意味もない、すべてを捨てよという。これは生存への意思の否定であり、現代の言葉でいえば明らかにニヒリズムである。言葉の正当な意味で虚無の思想という他ないだろう。節を改めてこの点を考えてみたい。


 
注2 経典で「神」というときは、釈迦の心の中に起きた良い考え、「悪魔」というときは、逆に気後れや迷いと解釈すると理解し易い。
注3 ロイトはこの欲動Triebについて二度定義を変えているがいずれの場合も基本的には人間を根底から行動に駆り立てる持続的な衝動のようなものを指している。どんなに抑圧されてもあらゆる姿を取って人間にへばりつく情動であった。この点で原始仏教にいう欲望と酷似している。なおフロイトは仏教思想に関心を持っていたらしく、著書にニルバーナ原則といった言葉が見える。
注5  名称と形態=namarupa=名色 「個人存在」という程の意味。


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