宿にもどり、お風呂に入っていると、家族のひとではない誰かが帰ってきた気配。
どうやら同宿者がいるようだ。風呂から上がるともう4人分の夕食が並べられている。
なんか”おじいちゃん家”みたい。。

本日のメニューはというと、シシャモとなすの天ぷら・サラダ・あしたば汁..というラインナップに、なぜかミートボールがパックのまま、ひとりにひとつ付いていた。島の民宿、というと、つい海の幸をイメージしてしまうが、青ヶ島の場合、なにしろクレーンで船を下ろすくらいなので、商売としては割に合わず、自分で食べる分を捕ってくる、という程度の漁らしい。期待した”和牛”も、仔牛をある程度まで育てたら本土に出荷してしまうので、ここで”青ヶ島牛ステーキ”が賞味できるという訳ではないそうだ。それでも、輸送手段が一番のネックとなっているこの島では、外部へ輸出できる貴重な産物となっている。

それ以外は、各家庭で自家用の畑を耕すくらいで、これといった産業はない青ヶ島において、頼りはやはり『公共事業』。 もうひとりの同宿者は、水道工事の関係者で、30代の気さくな男性だった。この民宿の常連らしい。話を聞いてみると、彼の家は埼玉県坂戸市、うちは川越だからすぐそばですねえ、なんて言ってたら、宿のおじさんも昔板橋に住んでおり、仕事で川越によく来ていた、という事実が発覚。にわか”東上沿線会”になってひとしきり盛り上がる。
 おじさんはもともと東京のひとで、工務店の親方をやっていたのだが、事業に失敗して十数年前に青ヶ島に移住してきたとか。それまで島外の業者に独占されていた公共工事を、島民の手に取り戻すべく、その経験を生かし現場の指揮に当たってきた、島の実力者なのである。そんなおじさんの話を聞いていると、人口200人のこの島では、『政治』というものがとても身近であることがわかる。つい最近選挙があり、68票対53票で新村長が誕生した、なんて話をきけば、投票する甲斐もあるというものではないか。

島の水道について話しているうち、昼間山の上で見たコンクリート斜面のなぞもわかった。あれは、雨水を集めて、上水道として使うための取水設備なんだそうだ。コンクリートの上を流れた水は、管で地中のタンクへと集められる。満水で10000tまで貯められるそうで、なかなか大掛かりな設備だ。

 ..なかなか興味深い話がつづき、9時ごろまで食卓でねばってようやくお開き。部屋のTVをつけると、おととい起きたばかりのNYのテロ事件で持ちきりだった。自分はこんなところで遊んでいていいものかと思うと、気が晴れない。 なんとなく外に出てみれば、村は一面の闇。学校の前にあるこの島唯一の信号だけが、やたらとまぶしく青い光を放っていた。


 翌朝、まずは還住丸の就航を役場に確認。まるまる一週間の休みも、今日はもう金曜日だ。また欠航になってしまうようだと、そろそろ帰りが怪しくなるところだったので、ほっとひと安心。朝食を終え、配管設備の調査に行くというおじさんと工事のひとと別れると、13時半の船の出港まではまだ時間がある。おじさんおすすめの、地熱サウナにでもいってみよう。

その前に、ぜひ見てみたいものがあった。ヘリコプターの発着シーンだ。伊豆七島には、全国でも珍しいヘリの定期便が通っており、ここ青ヶ島にも一日1便、八丈からのヘリが飛来する。9時過ぎ、高台にあるヘリポートにいってみると、すでに村の人たちが集まっており、けっこうな賑わい。このヘリ便、運賃こそ1万円強と高いものの、飛行機と乗り継げば午前中に羽田に到着でき、キャパが小さいこともあって、いつも満席状態なのだ。ターミナルと呼べるものは無く、建物は発券カウンターがある小屋がひとつだけ。乗客と見送り、出迎えのひとをあわせて20人くらいだろうか、みな外で青空を見上げ、ヘリを待っている。柵すらないので、ヘリポートの真ん中を、スクーターに乗ったおじさんが横切るのどかさだ。

待つこと20分、水平線のむこうから、ヘリの姿が見えた。どんどん大きくなってくる。
やがてバラバラと音も聞こえてくると、大きく旋回してこちらに向かってくる。あたりの草が風になびき、すごい迫力だ。ちょっとスリリング。

着陸したヘリは7,8人の乗客を降ろすと、てきぱきと荷物の積み降ろしを行い、再び八丈への乗客を乗せふわりと浮き上がった。かっこええー。乗りたかったなあ。。
ヘリはあっという間に青空へ舞い上がり、村人たちはいつもの生活へと戻っていった。

 ぼくも宿へ戻ると、荷物を整え、お世話になったおばさんに別れを告げて、のんびりと歩き出した。今日はとくにいい天気だ。はるか下に見える太平洋から、遠く海鳴りが聞こえてくる。
きのう軽トラに拾ってもらった坂道を下り、カルデラの中へ下りて行く。下り坂でもかなり歩きでがあり、きのう迎えに来てもらわなかったらかなりキツかっただろうなと思う。
カルデラ内の道はひと気がなく、あたりは低木ばかりなので暗さはないものの、やっぱりちょっと不気味。せっせと歩くこと約1時間、ようやく内輪山のふもとにあるサウナにたどりついた。

すぐ前には、きのう展望台から見下ろした内輪山(丸山)がプリンのような姿をみせているが、その斜面の一部は岩盤が露出し、白い煙を吹き出している。この火山は江戸時代に大噴火し、当時の島民全員が八丈島へ逃れたが、脱出できなかった100人以上のひとが亡くなったという。その後しばらくは無人島となっていたが、旧島民の島への想いは断ち難く、50年の後にようやく故郷への『還住』を果たした、そんな悲惨な歴史を秘めているのだ。

 しかし”ふれあいサウナ”と名づけられた施設は新しくとてもきれいで、そんな悲しい歴史などみじんも感じさせない、はずだったのだが。 更衣室に入って靴を脱いでみるとかすかに床下から熱を感じる..浴室の床は、もうあきらかに熱い!”地熱サウナ”はパワーが違うのだ。核心のサウナ室に入ってみれば、温度は普通と違わないのだろうが、地の底から湧きあがってくる熱を感じ、地球に焼き殺される! ような恐怖感におそわれ早々に退散してしまった。
休憩室でひとやすみ、貴重な現金使用スポットである自動販売機でジュースを買って渇きを癒していると、おじさんがまた軽トラで迎えにきてくれた。

 この島ともももうすぐお別れだ。港の岸壁で、還住丸の到着を待つ。
きらきらひかる海とコンクリートの絶壁、青い空のコントラストが美しい。きのうここにやってきたときは、不安ばかりだったのに、いまはこの場所、青ヶ島にいることがすごく誇らしく感じられる。
 やがて波をけたてて、連絡船がやってきた。いつもの時間に船がやってくる、その頼もしさ、有り難さ。それだけで、ちょっと胸が熱くなってしまった。


これは御蔵島の出航シーン。

ここまで苦労してたどりついただけに、滞在したのはたった一日だったけど、ものすごくたくさんのことを学べた気がする。それは、島で暮らすということの厳しさ。
そのほんの一端かもしれないけれど、確かに実感できた旅でした。


さらば島々よ..

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