提言第3弾 プレ公開中!広く皆様の意見を乞う。

ライフ・パーク(エコロジー・ヘルス・ケア・パーク)
はじめに・現行の医療・保険制度について
 一体 医療の価値とは何であろうか?
 決して医療は神聖なものではありえないと思う。言うなれば むしろ究極のサービス業である。身体という一番大切な持ち物をお預かりする以上、そこには卓越された繊細さが要求されるはずである。悪徳製薬会社や腹黒いクスリ問屋は言うまでもなく、カルテに悪筆で必要のない処方箋を書きなぐったり、無意味な検査に患者をまわしたりすることがどれほどの医療費の無駄使いをまねいているかを考えなければならない。
 医療費の適正配分がキチッと行われてさえいれば、厚生省が念仏のように唱える医療費抑制など必要のないことでである。来るべき超高齢化社会にむけて、我々は現在の医療システムの再検討を急ぎ、できることから少しづつ変えてゆく必要がある。
 考えられる改良すべき点を4つ挙げてみた。

1.医療保険制度の改革
2.医療の無駄の徹底的な排除(本当の意味での医療費の抑制)
3.画期的新医療技術の開発
4.国民の医学、医療知識の認識を高める

 医療保険制度の改革は先に述べたように、行政や官僚の体質改善につながるため大変な難事業となるだろうし(現行の改正では改革には到底結びつかない)、無駄を省くには複雑な細かい作業が必要であり、医者や医療従事者の少なからずというよりは献身的ともいえるくらいの協力が不可欠となってくる。どちらにしても膨大な時間がかかりそうだ。
 画期的新医療技術の開発は、医学そのものが構造上の限界に到達していない限り可能性としてないわけではないが、現段階では極めて低い。残るは国民の意識改革であるが、これもかなり積極的な啓蒙活動をしていけば他の3つよりも実現性は高い。

 そこでその方策のひとつとしてライフ・パーク(エコロジー・ヘルス・ケア・パーク)[仮題]の設置の提案である。


ライフ・パーク(エコロジー・ヘルス・ケア・パーク)の存在価値

@ 国民の健康を支援する新しい社会的基盤
A 国民の健康についての自覚と自己責任の意識向上
B インフォームド・チョイス・システム
C 社会におけるリスクファクターの軽減
D 福祉事業開始による産業雇用の場の拡大


  個人主義のアメリカと比べ日本には生活習慣病などに対してセルフケア(自己管理)の意識が低い。また国民のセルフケアをバックアップする社会的基盤も、ほとんど存在していない。病院以外に、健康に対する不安や不満を受け入れてくれるこのような基盤施設が出現したらどうだろうか?それも過疎化した寒村や保養所にではなく、都心近郊の森や山に...これがライフパーク提案の原点である。そしてさらなるライフ・パークの目的は、地域医療の活性化だけでなく、民間企業や各種団体の発展に繋がる社会フィットネスをも高める一筋の輝ける光となることである。

 《 ライフ・パークは予防医学の遊園地 》
我が国の医療は経済的には悲惨な状況だが、優秀なドクターが営利目的でなく全国各地で行動を開始しているのも事実だ。リサーチしたわけではないので実際にどれくらいのドクターが動いているのかは定かではないが、「うーむ このままではいかん何か事を起こさねば...」と考えている予備軍もいれれば、かなりの数になるのではないだろうか。組織のなかでの自分の立場や立身出世もあまり顧みないような質実剛健で勇気あるドクターが、先頭に立ち、これから先、モデルケースとして様々な医療施設が各地に出現するのは間違いない。国、県、市、各地方自治体も超高齢化問題の対策の一つとして予算を組んでいる筈である。
 しかし情報を見る限り介護医療センター、福祉リゾートなど抹香ξ臭いものばかりである。概ねヘルスケアが主たる目的としてよいと思うのだが、ケアばかりが先行しヘルスはあくまでも受け身の状態だ。もっと積極的に自己と向き合うことの大切さを強調した幅広い層に答える施設があってよいのではないだろうか。8歳の児童と80歳の老人が手をつないで気軽に楽しめる明るい施設...、ディズニーランドと温泉保養地の合体といってもよいかも知れない。されどそこには何か考えさせられるものもある...、生命とはなにか?一体我々は何処から来てどこへ行こうとしているのか?そういうものの橋渡しをするのは、自然環境しかないのである。それも中途半端な箱庭的なものであってはならない。決して広大な面積がなくとも本当に生きている森であり川であり、たとえ莫大な費用を投じようとも死んだ山や海であってはならない。人間が自然に取り込まれ呼吸をすることにより生命エネルギーを感じ得られるものでなければ意味はない。
 もちろんライフパークには一般医療が忘れかけている未病の状態を改善してゆくという予防医学の台頭が根底のラインにあるわけで、設置そのものに国民の医療費が使われなくとも国民の自己治癒能力の向上に役立つものであり、そのための、より理想的な環境造りが必要である。予防医学の効能がこれからの医療にどれほど大切かを、より多くの人々に啓蒙してゆく...。そのためには卓越した医療人と自然の叡智が手を結び、共に構築してゆくというプロセスを大切にすべきだ。新規事業としては大変複雑で難しい問題も抱え込むことにもなろう。しかしトレンドであるか否かはもはや議論の余地もなく、これはもう時代そのものが欲しているものなのである。

 幸いにして愛知県には木曽三川を基としたたおやかな自然に恵まれている。2005年の愛知万博が開催されるまでに規模の大小を問わず医療補助施設とビオトープの合併といったような実験的プロジェクトはどんどん続けられるべきだし、我々市民も積極的に参加してゆくという姿勢が全く新しいパイオニアワークを生み出す可能性につながっていくだろう。身近なところから少しづつできることから一歩づつイメージしたことを行動に移して行きたいものである。

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