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つれづれなるままに何か書きたい、そんな気持ちになった。。。。。
このコーナーは、作者のyosshyが、思いついたことを気ままに書いていきます。
作者の自己満足と、ストレス解消のためのコーナーですので、
あまり期待せず、ものすごく暇な人だけ読んでください。

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・くじけなかった加藤君(2005年11月7日)
 11月6日に行われた「全日本大学駅伝」で感動的なシーンを見ることができた。中央大学の加藤直人君が、4年生にして初めて大学駅伝に登場したのだ。
 彼は、高校時代、都大路(全国高校駅伝)の花の1区で圧倒的な強さを見せ、日本人トップ、鳴り物入りで入学した。ところが、入学直後、アキレス腱を痛めてしまい、しばらく走ることができなくなった。その後、何度も再発し、ついに最終学年になってしまったのだ。
 彼に対する期待は大きく、毎年、駅伝シーズンになると、多くのファンから「加藤はどうした」という声が上がった。しかし、彼が、駅伝を走ることはなかった。期待に応えられない日々が続き、とてつもないプレッシャーがかかったものと思う。
 今年になって、彼は、出雲大学駅伝にエントリーされた。ファンは、狂喜すると共に不安を感じた。「本当に大丈夫なのか?」と。結局、エントリーはされたものの出雲を走ることはなかった。
 そして、全日本。ここにも加藤君の名前はあった。しかし、この段階では、加藤待望論と同じぐらい不安論が渦巻いていた。中には、出ても、どうせ区間20位以下だろうと酷評する人すらいた。
 そして、昨日、ついにヴェールを脱ぐ。結果は、不安論を吹き飛ばす区間賞の快走。沈みかけた中大の流れを引き戻し、2位入賞の立役者になった。これまでの苦労が報われたのだ。
 一度、頂点を極めた者が、挫折すると、そこから這い上がるのは、ものすごく大変なことである。並の人間ならば、競技を続けていくことすら困難だったろう。それを克服し、最終学年で、最高の答えを出した。
 加藤君のくじけない心には、本当に頭が下がる。人間、けっしてくじけてはいけないことを教えてくれた。最後に、箱根という大舞台が残っている。結果はともかく、彼を心から応援したい。
・時間で割ったような「計画」は無意味である (2001年5月10日)
 わたしは、「計画と実行」という言葉が大嫌いである。「計画を立て実行できること」など、「計画を立てなくともできること」だと思っているからである。しかし、世の中には、綿密な「計画」を立て「実行」することが良いことだという観念を持っている人が多いのではないだろうか?そこで、今回は、この「計画」というものを考えてみたいと思う。
 「計画」と言っても、いろいろな種類があるだろう。旅行をするにも計画は必要だし、学習計画や仕事上の計画など、ほぼすべてのものに関係するといってよい。しかし、時間や量が計算できる「作業計画」や仕上げの段階での「実行計画」は、はたして「計画」と言えるだろうか?これらは、計画というよりも「作業予定」、「実行予定」に過ぎないのではないか?つまり、「計画の段階」は、すでに「クリア」している状態だと考える。
 何かを実行したいとき、どのように計画を立てるか?これは、大きな問題である。計画に誤りがあれば実行する上で大きな支障があるのは言うまでもないだろう。しかし、冒頭で述べたように、計画して簡単に実行できるようなことは、計画を立てなくともそれほど苦労せず実行できるものだ。つまり、バーが低い事柄なのである。ところが、現実は、高いバーをクリアするために計画を立てなければならない。簡単に実行できないことに対して計画を立てなければならないのである。
 では、どうしたらいいか?それは、ゴールだけ明確にしておき、初期段階では「細かい計画を立てない」ことだと思う。よく、期間に対して均等量の作業を割り当て計画する人がいるが、これは、あまり感心した方法ではない。もし、それが成立するとしたら、先に述べたバーの低い事象であって、ことさら計画を立てる必要のないものである。本当に「計画」が必要な事象ならば、まずは、適当に、大まかに進めることが肝心である。
 そして、しばらくは、細かいことに気を使わずどんどん進めることだ。だいたいこの辺までという「目安」さえあればよい。細かいことをいちいち気にして進めようとすると、かえって停滞するし、進行の妨げにすらなることがある。適当に進めていけば、時には、思いがけないほど成果をあげることもあるだろうし、問題点を発見することもあるだろう。そんなときに柔軟に対応できる。
 そのように進めていって、メドが立ったとき「実行計画」に変身させればよい。この段階になったら遠慮する必要はない。細部まで綿密にきちんと作業量を決め、実行すればよい。つまり、一見、いい加減に見える期間が肝心なのであって、残りはおまけのようなものである。
 シドニーオリンピックで、高橋尚子選手が金メダルを取った。高橋選手の狙いは、もちろん、金メダルだったろう。金メダルを取るためには、トップグループにいなければならない。初期段階では、その程度の目安を立てて、それを外さないように走る。そして、レースの中で、トップグループを絞るための仕掛けをする。仕上げに、最後まで残ったライバル、シモン選手を引き離すという具合に展開し、ゴールを飾った。これは、計画を立てる上で非常に参考になるものだと思う。
 計画する以上、やるべきレベルがある。それは外してはならない。だから「目安」は必要である。しかし、特に、長期の計画だとしたら、先が見えるまでは、けっして細かな計画は立ててはならない。計画表を書いては破り、書いては破りという「計画のための計画」を立てる人がいるが、これではダメである。そして、ゴールが見えたとき、初めて綿密な計画を立てる。特に、受験生は、「計画のための計画を立てる」暇があったら、少しでも勉強してほしい。その方が、ずっと効果がある。いずれ、効果的な勉強法などをこのページでもアップするつもりだが、時間で割ったような計画表は、ほとんど意味のないことを知ってほしいと思う。
・現状維持は「退歩」 (2001年5月6日)
 わたしは、現状維持は退歩であるという信念を持っている。もし、昨日の自分と今日の自分が同じであれば、それは退歩したと考えるのである。確かに、人間、1日生きれば1日分多くの体験を積むわけだし、どんな小さなことでも新しい知識を得たり認識を深める機会があるわけだから、何らかの進歩があって当然だといえる。
 反面、人間は、生まれたときのエネルギーは最大であり、エネルギーがゼロになったときに死ぬものである。それゆえ、1日生きれば、1日分のエネルギーを消費し、総エネルギー量は減少することも事実である。現巨人の監督の長嶋茂雄が、いかに名選手であっても、現在の野球の実力は、二流のプロ選手にも及ばないであろう。それは、仕方のない退歩である。つまり、人間は、黙っていても衰えていくものなのだ。だから、現状維持では、大幅な退歩になるわけである。
 問題は、その事実を心にしっかりとめているかということである。人間、ややもするとなんとなく惰性で進み、あっという間に年月を浪費してしまうことも珍しくない。いわゆる流されるというやつである。
 しかし、わたしは、この流されるというのが嫌いだ。常に、何か上達していないと気がすまない。どんなことでもいいから、進歩していないとストレスがたまるのだ。だから、いろいろなものに手を出す。手を出すことによって、得るものも大きいが、時には失うものも多い。でも、いつもベストリザルトと考えることにしていいる。その辺は、また機会があったら、別に書くつもりだが、要は現状維持に満足しないことが大切と考える。
 かつて、塾の先生を8年間やっていた。8年もと考えるのか、たったの8年と考えるかは、個人の自由だけれども、わたしは、内容を問題にしたい。専任の塾の先生は、現在はともかく、一昔前は、中途採用が多かった。新卒は皆無と言っていいぐらいであった。先生方のタイプを分類すると、勉強が得意で勉強が好き、しかも研究熱心というタイプがいる反面、勉強はできない、勉強は嫌いというタイプもいた。もちろん、勉強はできるが、勉強嫌いの先生もいたし、勉強はできないのだけれども、仕事として熱心に研究される先生もいた。
 研究熱心な先生は、常に、よい授業をしようと心がけ、勉強をし、昨日より今日、今日より明日という具合に、いい授業をしようと心がけ、生徒とうまくコミュニケーションを取ろうと努力し、研究しつづける。逆に、研究不熱心な先生は、最低限の知識を得る努力すらせず、ただただ、へこんでいくだけで、進歩どころか退歩していくだけだったりする。当然、生徒からも嫌われ、落ち込み、ますます退歩していく。同じスタートラインに立っていても、2ヶ月も過ぎれば、ものすごく大きな差になってしまうのだ。
 実際、両極端の先生をたくさん見てきた。そして、1年、2年と時間がたつうちに、進歩しつづけた先生と、退歩しつづけた先生の実力は、格段の差となって表れた。悪いことに、退歩しつづける先生は、言い訳だけ上達しているという皮肉な結果になっていた。
 これらの例を出すまでもなく、人間、現状維持でいいと考えたとき先がなくなると考えていいだろう。激動の時代になり、安息の地を見出せない時代になったが、逆に、チャンスは確実に増加しているのではないだろうか?もちろん、リスクも大きくなっている。でも、そんな社会の方が、ぬるま湯の世界より好きだ。レールから外れたものが、大きな夢をつかむ時代もすぐ近くに来ていると思う。
・クイックレスポンス (2001年5月4日)
 メルマガをたくさん書いているせいもあって読者の方からたくさんのメールをいただいている。時には、励まし、感想のメールもあるが、圧倒的に多いのが質問のメールである。わたし自身、読者からのメールにはできる限りすばやく返信するようにしている。
 反応は、さまざまだが、たいていは、「まさか、返信が来るとは思っていませんでした」とか、「こんなに早く返事をいただけるとは」という感嘆の声を聞くことが多い。確かに、メルマガの発行者の中には、質問を受け付けていないところも多いと聞いているし、実際、いちいち読者の声に答えている暇はないという人がほとんどだろう。
 しかし、わたしは、必ず返事を送ることにしているし、できるだけ早く送ることを心がけている。メルマガとはいえ、自分の作ったものを愛読していただいている大切な読者である。まして、質問してくるということは熱心の表れであろう。熱心には熱心をもって接するのが礼儀だと思うし、当然のことだと思う。
 メルマガは、カラオケに似ている。カラオケでは、誰でも歌手になれるように、メルマガでは誰でも作家になれる。しかし、書くだけで書きっぱなしでは、単に自己満足でしかない。カラオケで、周りの空気も感じず、ただ、自分に酔って歌っているに過ぎないと思う。
 読者の言うことに振り回される必要はないと思うが、読者のレスポンスには、クイックでお返ししたい。これは、ホームページでもまったく同じで、人気を出すためには、掲示板などもクイックレスポンスで臨まなければならない。レスが遅い掲示板では、ビジターは、遠のいていくだけだろう。
 ネット社会は、クイックレスポンスが命だと考えてよい。よく、ドッグイヤーなどと言うが、一般社会の50倍ぐらいのスピードと考えた方がいい。1週間もほおっておけば、1年間ほおっておいたのと同じである。小泉内閣が成立し、構造改革が叫ばれているが、個人個人も構造改革が必要なときを迎えているのではないだろうか? 
・リンクは片思いでいい (2001年4月12日)
 最近、相互リンクの申し込みをよく受ける。不思議なもので申し込みが来る時期には集中してくる傾向にある。うれしいことではあるが、とまどうときもある。申し込みのパターンも、いくつかあり、個性があって面白いのだが、いかにも不特定多数に同じ文章で送ったと思われるような事務的な申し込みは苦手である。
 メールとはいえ、はじめての人間に対して、自己紹介もなく、なぜリンクしたいのかという理由も明記せずに、ただ「相互リンクしませんか?」という誘いを受けてとまどうのは私だけではあるまい。書いている本人を責めるつもりはないが、著しく配慮を欠くと言っていいだろう。
 私自身は、相互リンクの申し込みというものをしたことがない。理由は、リンクは片思いでいいと考えているからだ。そもそも「リンクとは何か?」と問われた場合「コンテンツの一つだ」と答えたい。自分が気に入ったサイト、役に立つと思ったサイトは、訪問者にとっても有益な情報だと考えるし、自分にとっては、ベストブックマークでもある。だから、リンクしたいサイトは、相手の動向に関係なくリンクしている。
 しかし、相互リンクを申し込んでくる人の中には、こちらがOKを出すまで待っている人も多い。それが礼儀と考えているのかもしれないが、もし、断ったらリンクしないのだろうか?もともと、このページに対してなんらかの興味を持ったからリンクの申し込みをしたはずである。しかも、リンクフリーであることを明記してある。ならば、遠慮なくリンクしてしまい、その後、相互リンクを申し込むということは考えないのだろうか?
 まだ、確固たるルールがあるわけでもなく、許可なしにリンクすることをためらっている可能性が強いので、非難することはできないが、リンクは基本的に「片思い」でいい。気に入ったらリンクすればいいのである。そして、その旨を伝えるのがいいと思うが、どうだろうか?
 私は、リンクした場合、「・・・を見てたいへん気に入りましたのでリンクさせていただきました。不都合な点がありましたら申し出ください」というようなメールを出すことにしている。ホームページにリンク不可と書いていない限りは、リンク終了後にメールを出すことにしている。返信のメールは、来ることもあるし、来ないこともある。来た場合は、たいてい、こちらからもリンクしますというコメントがついている。その時点で、相互リンクになるのである。逆の場合も同じで、同じようなアプローチがあった場合、相互リンクの文言ががなくとも、たいていは、こちらからもリンクしている。しかし、それは結果であって、あくまでも、自分のサイトにリンクしたいからしたのであって、相互リンクが目的ではない。相手にリンクしてもらうかどうかというのは別問題なのである。
 どちらにしても、リンクを申し込まれるということは、自分のページが評価されたということだから大変名誉なことだし、よほどのことがなければ、自然に相互リンクに発展していくものである。いきなりの相互リンクの申し込みは、手法としては考え直す必要があると思う。また、申し込むにしても、自分のページのコンセプトや、相手のページの感想などを添えた上で申し込んだ方がいい。不特定多数に同じ文面をまきちらしているような印象を受ける申し込み方は避けるべきである。突然、目の前に現れ、ただ、単に付き合ってくれと言われたら、たとえ、どんな美男美女だったにしても、とまどうことは間違いないのだから。
・ホームページは、本当に「狭く・深く」がいいのか? (2001年4月4日)
 ホームページは「狭く・深くがいい」とよく言われるが、本当だろうか?確かに、資料室として使われる場合は、テーマを絞り深く追求してあるサイトが好まれることは確かであろう。しかし、そう断言してもよいものだろうか?
 かつて、あるホームページの企画で、多くの人にこのページを評価していただいたことがある。当時は、コンピュータの部屋はなく、歴史中心、メルマガ中心のページであったが、音楽コーナーというものがあった。
 音楽は最大多数の趣味であるというのが持論なので、誰でも楽しめる息抜きのコーナーとして開設当初からあった。しかし、ある方から「音楽コーナーは廃止したほうがいい。ホームページは、狭く深くですよ」という意見をいただき、納得して廃止してしまった。当時は、メルマガを書くことで精一杯で、コンテンツの縮小も考えていたときだったので素直にご意見に従ったのである。
 しかし、その後、コンピュータ関係のメルマガを書いた関係で、エクセルやワードの読者から、「娘に見せました」とか「年甲斐もなく楽しんでいます」などのメールをいただき、裾野が広がっていることに気がついた。また、歴史で来られた方からも「ワード・エクセルが役立っています」という声も聞かれ、逆のパターンがあることも分かった。
 かつては、私自身も、ホームーページは狭くて深いほうがいいと考えていたが、どうやら勘違いのようである。現在でも、雑誌などでよくその言葉を見かけるが、根拠のあることではない。本屋さんに行けば、一つのことを詳しく書いてある専門書もあれば、なんでもかんでも扱っている雑誌もある。つまり、ホームページの形もいろいろあっていいということだ。歴史のホームページだからといって、音楽コーナーがあっても何ら問題がないと思う。
 この「ホームーページは、狭く・深く」という言葉は、たまたまそういうコンセプトがいいと誰かが言って、賛同する人がいて、どんどん広がっていったというのが真実だと思う。一面の真実ではあるが、必ず心がけなければならないほどのものではないと考える。ホームページは、もっともっと自由でいい。管理人がやりたいものをやる。「自分の意志でやれる」というところが、他のどのメディアにもない特徴なのだから。ちなみに、今後、このページは「ハブ空港」的アプローチで、コンテンツを増やしていくつもりである。
・中断を恐れない (2001年2月9日)
 このコーナーに書くのは、本当に久しぶりだ。せっかくだから言い訳めいたテーマにしてみた。「中断を恐れない」この言葉は、高校時代に出会った言葉である。人間、誰しも「やるぞー」と思い、意気込んではじめることがある。しかし、意気込みとは裏腹に、自然にしぼんでしまい消滅してしまうことも多いのではないか?
 自分もかつてはそういうことが多かった。何かはじめても、自然に止めてしまう。精神的にきつくなって投げ出してしまう。でも、それは非常にもったいないことではないかと思う。
「中断を恐れない・・・。機会があればいつでも復活できる」という言葉に出会ったとき、はっとした。そして、精神的に楽になった。以後、投げ出すということはなくなり物事を丁寧にこなすようになった。同時に、困難なことをスタートをする恐怖感もなくなった。
 確かに、完璧でないもの、不十分なものを中途半端に抱えているのは辛い。スッキリと削除してしまった方が精神衛生上いい。しかし、単に中断しているだけと考えれば捨てる必要もないし、心の平静を保つこともできる。実際、完全に止めたと思っていたことが、あとでひょんなところで役立ったという経験を何度もしている。
 だから、現状では続けられないと思ったら、中断すればいい。状況によってできることとできないことがあるわけだから開き直ってしまえばいい。一生再開しないかもしれない。でも、それは結果であって、機会があれば、花が開いたかもしれないのだから、一応、手持ちにしておいた方がいい。人間、たとえ100の楽しみを持っていても、100全部味わうことができない。時間には限りがある。しかし、中断を恐れない精神があれば、どんなことにもチャレンジできる。人生に無駄な時間など1秒もないと思っている。
・もうすぐ1周年 (2000年5月31日)
 いよいよ明日から6月。19日をもって1周年を迎える。思えば、昨年の今ごろは、ホームページの原形ができ、最後の仕上げをしていた。その後におこる劇的な変化など考えることなく、ただただ制作に没頭していた。すでに、ネットワーカーとして、3年、パソコン通信も入れると4年の経験はあったけど、Webマスターという未知の世界に足を踏み入れることにワクワクしていたのだ。
 実際、ネット社会に入って、これまでにない体験をたくさんした。自分の思惑とは別に、生き物のように変化していく。何気なく作った「気軽にトーク」のコーナーが「本能寺の変」になったり、付ける予定のなかった掲示板を4つも持つことになったりしたり・・・。また、思いのほかたくさんの人に訪問していただいたりした。
 「このページを読んで成績が上がりました!」とか「テストでいい点が取れました!」とか、「高校に合格しました!」といううれしい知らせもたくさん届いた。Web上だけでなく、メールでも相当数のやり取りがあった。メルマガの読者も、8000人近くを獲得することができた。満足度は100%とはいかないものの、かなり高いものを得た。
 でも、これからが勝負だなと思う。もちろん、ホームページは、基本的には、発信者の個人的な自己満足で作るものだと思う。しかし、少ないとはいえ、固定ファンが付き、このページに期待している人がいる以上は、期待に応える義務もあると思う。堅苦しく考えるつもりはないが、ファンの期待に応える、応えられることが、Webマスターの存在意義であると思う。それができたとき、満足度は100%になっているだろう。これまでの365日よりもこれからの365日が大切だと思う。心してがんばりたい。
・普通名詞 (2000年2月24日)
 もう3ヶ月以上前のことだけれども、ある掲示板を見てハッとした。「それ、大場佳代さんのところにもあったよ」っていうコメントが・・・。別に私に関係のある掲示板ではない。単に、私のところでリンクしているあるサイトの話題だったのだ。つまり、私の知らない二人が、共通の話題としておしゃべりしているのである。両方とも、私のサイトをROMっているのだろう。それにしても、あたかも普通名詞のようにやりとりされるのは、何とも言えない気分だ。
 もちろん、カキコしてもらうのはうれしいし、メールをもらうのもうれしい。でも、テレビ番組のように見てもらうのは、更にうれしいのだ。会話の中に自然に挿入されると、あたかも有名人になったように感じる。もともと私の狙いは、佳代ちゃんをネット上のスターキャラクターにすること。そして、大場佳代シリーズをたくさん作り、マンガを見ているような感覚のページを作ることである。ホームページというと、どうしても個人が前面に出がちだが、私は、作品を作る感覚で製作している。それも一つの道ではないかと思っている。
・ROM専常連 (2000年2月21日)
 Webマスターになって以来、アクセスアップのとりこになっている。自分のカウンターが上がっていくのは本当に楽しいものだ。まるで感情があるかのように、すべるように回ったり、重くて重くて一向に回らないこともある。まさに魔性の女だ。開設当初は、何でもした。宣伝も出来る限りしたし、アクセスアップと名のつくサイトをひたすら回った。
 アクセス数が、6000になったころ、ある企画に乗り、ホームページの評価を受けた。その中に気になる言葉があった。「アクセス数の割には掲示板への書き込みが少ない」と・・・。自分でも、そう思っていただけに少しだけ悩んだ。「宣伝をやめたら誰も来なくなる」とか「宣伝を見てきた人間が、あてが外れて帰っていく」そんな評価だった。もちろん、自分ではそうは思っていなかったものの、何故、アクセスが獲得できるのか分らなかった。
 その後もアクセスは好調に伸びつづけた。宣伝はほとんどしていない。掲示板へのカキコは少々増えたものの、何日かに一度という感じだった。アクセスが増えつづけるのはいったい何故なのか?

 あるとき、ふと思った。それは、私のサイトは、ROM専が多いのではないかと。自分は、メルマガを発行している。確かに、大した部数はない。でも、読者は確実にいる。それに対しての反応は、当時ほとんどなかった。皆無と言っても過言ではなかった。考えてみれば、自分も3年間ROM専だった。掲示板にカキコをしたこともなかったし、ただ、好きなページをROMっていただけだった。

 それに気づいたとき、アクセスは1万を超えていた。よし、それならば、ROM専読者を喜ばせよう。もっともっとコンテンツを増やしていこう。そう考えた。以後、うなぎのぼりにアクセスは伸び、1月には、念願の月3000をはるかに超える3675アクセスを記録した。

 インターネットユーザーは、今後どんどん増えていく。ということは、Webマスターも増えるだろうが、それ以上にROM専の人たちも増えるだろう。ROM専常連をいかにたくさん作っていくか、それがアクセスアップの勝負どころではないか?そう確信している。
・さぼり屋 (2000年2月21日)
 メールマガジンを毎日のように発行している。執筆自体は、たいした時間はかからないのだけれども、いつも締め切りに追われているようでプレッシャーがある。でも、メルマガを発行していなければ、これだけの量の文章をHP上に残すこともなかっただろう。そういう意味では、発行という責任を負うのもいいのかもしれない。やろうと思ってもなかなかできないのが人間。何か、背負うものがあった方がいいのかもしれない。人間は基本的にさぼり屋だから。
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