【解答】「D」の「裴世清」です 【解説】 日本が隋に当てた国書の中には「日出る処の天子、書を日没する処の天子にいたす。恙なきや」という有名な文言が含まれていました。これを見た隋の皇帝「煬帝」は、激怒しましたが、結局「裴世清」を答礼使として派遣します。これは、当時、高句麗を攻める準備中だった煬帝が、日本と手を結んでおいた方がよいと考えたからです。