12月の問題解答


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◆ 解 答 < >内は、問題文の事件の起きた日を表しています。
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 1.(明治)6年 <1873年12月3日=明治6年1月1日>

 2.北里柴三郎(きたざとしばさぶろう) <1890年12月4日・発見>

 3.聖徳太子(しょうとくたいし) <603年12月5日・設置>

 4.持統天皇(じとうてんのう) <694年12月6日・遷都>

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◆ 解 説 
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三重:明治6年の1月1日って、本当は、12月3日だったんですね。
藤原:そうだね。それまで日本では、太陰暦を使っていたから、大きくず
   れていたんだね。
佳代:それにしても、ずれすぎていませんか?1ヶ月近くありますよ。
藤原:そうなんだ。今は、閏年と言って、だいたい4年に1回2月が29日
   まであるよね。でも、太陰暦では、閏月といって、ずれを1月入れ
   ることで調節していたんだ。
佳代:すると、翌年が、その調節する月だったのですね。
藤原:そのとおり。1ヶ月近くずれていることをみてもわかるよね。
三重:だったら、閏月をいれて、誤差が少なくなってから変えてもよかっ
   たんじゃないのですか?
藤原:おお、いいところに気がついたね。そうなんだ。でも、政府は、あ
   えて、ここで強行した。
佳代:何故ですか?
藤原:真の理由は、定かではないが、このころ、官吏の給料を月給制にし
   たばかりだった。
佳代:あっ、わかりました。閏月があると、1年が13ヶ月になりますから、
   月給を13回払わなければなりません。
藤原:そう。その辺が、大きな理由だといわれている。表の理由は、欧米
   諸国との交渉などをスムーズにするためということだけどね。
三重:いろいろ大変だったんですね。
藤原:そうだね。それから、2番の北里柴三郎は大丈夫だね。
三重:ハイ、有名です。
藤原:彼は、免疫機能を利用した免疫血清療法を発見し、破傷風やジフテ
   リアの治療法を確立した。本当に世界的な発見だ。
三重:すごいですねぇ。
藤原:残りの二つはやさしいだろ。
佳代:ハイ、大丈夫です。聖徳太子は、誰でも知っていますし、持統天皇
   は、天武天皇の奥さんで、女帝です。
藤原:よろしい。冠位十二階の制度は、身分にかかわらず才能のある人を
   役人に登用したという点も押さえておこうね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。それでは、
   みなさん、今日はこの辺で。


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◆ 解 答 < >内は、問題文の事件の起きた日を表しています。
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 1.無学祖元(むがくそげん) <1282年12月8日・円覚寺創建>

 2.平治の乱(へいじのらん) <1159年12月9日>

 3.田中正造(たなかしょうぞう) <1901年12月10日・天皇に直訴>

 4.綜芸種智院(しゅげいしゅちいん) <828年12月15日・開校>

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◆ 解 説 
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佳代:北条時宗も、いよいよ最終回です。
藤原:佳代ちゃんは、ずっと見ていたのかな?
佳代:もちろんです。ですから、1番の無学祖元も印象に残っています。
藤原:そうだね。この円覚寺は、文永・弘安の役で犠牲となった日本、モ
   ンゴル双方の兵士の霊をなぐさめるため時宗が創建したものだ。時
   宗のよき相談役でもあった祖元が開くことになった。
三重:先生、無学って、変な名前じゃないですか?
藤原:ああ、無学っていうのはね、学がないということではなく、もう学
   ぶものがないというような意味らしいんだ。
佳代:ああ、テレビでも言っていました。学ぶものがないなんて、すごい
   人なんですね。
藤原:まあね。それから、2番は、大丈夫だよね。
三重:えーと、保元の乱と平治の乱が今ひとつわかりにくいです。
藤原:そうだね。少し入り組んでいるからね。あいまいな人は、保元の乱
   と平治の乱をまとめておいてね。まあ、保元の乱の勝者が後白河天
   皇だということを把握しておけば、この問題は間違えないと思うけ
   ど。
佳代:そうですね。でも、とにかく、ややこしいです。
藤原:それから、3番の田中正造は、足尾鉱毒事件と結びつけて覚えてお
   こう。有名な人だ。
三重:ハイ、大丈夫です。写真もよく見ますのでバッチリです。
藤原:最後は、有名な空海の問題だね。空海といえば真言宗の開祖として
   有名だけど、この学校は、身分の上下、貧富の差を問わず、庶民を
   対象に、仏教や道教、儒教などを広く教えるという画期的なものだ
   った。日本ではじめての一般向けの学校と言えるだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。それでは、
   今日はこの辺で。
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◆ 読み方チェック 
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・円覚寺(えんがくじ)
・藤原信西(ふじわらのしんぜい)
・保元の乱(ほうげんのらん)


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◆ 解 答 < >内は、問題文の事件の起きた日を表しています。
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 1.近衛文麿(このえふみまろ) <1945年12月16日・自殺>

 2.平賀源内(ひらがげんない) <1779年12月17日・獄死>

 3.梶原景時(かじわらかげとき) <1199年12月18日・追放>

 4.明徳の乱(めいとくのらん) <1391年12月19日・勃発>

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◆ 解 説 
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佳代:日中戦争のときの首相と言えば近衛さんですね。
藤原:そうだね。近衛元首相は、五摂家筆頭という名門の出身だ。しかし、
   戦時だったので、本当に大変だったようだ。
佳代:大政翼賛会を作ったのも近衛さんのときですね。
藤原:そうだね。日米の交渉も失敗し、総辞職して、東条英機に内閣を譲
   ることになる。しかし、最後は、さすがに戦犯になっていると思い
   込んで自殺してしまったんだ。
三重:う〜ん、ああいう時代の政治家は大変ですね。
藤原:そうだね。先生は、近衛首相の戦争責任は大きいと思うけど、その
   辺は何ともいえないね。
佳代:2番の平賀源内は、奇人というか変人というか・・・。
藤原:うん、よく言えば異才ということかな。本当に天才的な人だったら
   しいけど、いわゆる紙一重というのにも最も近い人だったとも言え
   る。
佳代:浄瑠璃や滑稽本なども書いていたのですね。
藤原:そうだね。最後は、友人二人を殺し、入牢して獄死した。しかも、
   獄死の原因が断食に結果ではないかとも言われている。
三重:やはり、ただものじゃなんですね。
藤原:そうだね。3番は、有名な梶原景時だけど、こちらも、悲劇的な最
   期を遂げている。
佳代:頼朝が死んだのが大きかったのですね。
藤原:言えるね。いつの時代も権力争いの種は尽きない。鎌倉幕府の場合、
   次から次へと御家人がつぶされていくことになる。
佳代:最後の明徳の乱も、足利義満が将軍の権力強化のため、当時、全国
   の六分の一の国の守護だった山名氏清を挑発して、叩きのめしまし
   た。
藤原:そのとおり。政治史を勉強すると、まるで、権力争いの歴史のよう
   に思える。今回の問題にはないけど、奈良時代も平安時代も、権力
   争いが激しかったし、いたるところに見られるね。
佳代:本当ですね。先生、今日はありがとうございました。それでは、今
   日はこの辺で。


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◆ 解 答 < >内は、問題文の事件の起きた日を表しています。
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 1.吉野(よしの) <1336年12月21日・後醍醐天皇脱出>

 2.井上馨(いのうえかおる) <1885年12月22日・伊藤内閣発足>

 3.鑑真(がんじん) <753年12月26日・大宰府に入る>

 4.大久保利通(おおくぼとしみち) <1947年12月31日・内務省廃止>

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◆ 解 説 
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佳代:後醍醐天皇って、年末の忙しいときに脱出したのですね(笑)
藤原:そうだね。動乱の時期だから、年末も何もないよね。そして、日本
   で初めて、天皇が二人いるという事態になる。
三重:それが南北朝時代ですね。
藤原:うん。これは、後に、足利義満が合一するまで続く。
三重:いざ、国をまとめよう!でしたね。
藤原:おお、よく覚えているね。1392年に合一する。分裂したのが、この
   年だとすると、60年近く異常な状態が続いていたと言える。
佳代:初代の外務大臣って、井上馨だったんですね。
藤原:うん、今、何かと話題の多い外務省だけど、初代は、長州の井上馨
   だ。
三重:伊藤博文も長州ですよね。
藤原:そのとおり。このころは、薩摩、長州の力が強く内閣も、薩長勢力
   が強いものだった。
三重:3番の鑑真は、任せてください。唐招提寺を作った人でもあります。
藤原:さすが、三重ちゃんも成長したね。
三重:先生、過去のことは言わないでください。鑑真は、特に印象が残っ
   ています。何度も渡海に失敗し、失明したのにもかかわらず、来日
   を果たしました。まさに不屈の人です。
藤原:そのとおりだね。現在、不況の日本だけど、鑑真の精神を見習って
   欲しいものだね。
佳代:そうですね。是非、見習いたいと思います。最後に、明治時代の初
   期に独裁的な力を振るった人物が大久保利通です。
藤原:そう。彼は、内務省を作って、新政府の中心として権力を振るった。
   急激な改革を推し進めるため、かなり強引なこともした。
佳代:だから、最終的に、暗殺されてしまうのですね。
藤原:うん、今の言葉で言えば、抵抗勢力はたくさんいたからね。しかし、
   現在の日本を作り上げた最も重要な人物の一人であることは間違い
   ないだろう。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。それでは、
   今日はこの辺で。


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