YOU LOVE USのあらすじ(受賞後『メイド イン ジャパン』に改題)
シュウ・タカシ・シン・サトルの帰国子女高校生四人組みが、本物の人間を切り刻むスナッフビデオを観ている。本物の子供を切り刻んで、殺しながらレイプしている違法ビデオだ。シュウは気分が悪くなって、五歳の頃隣の部屋の住人に殺人レイプされそうになったときのことを話し出す。アメリカのスラムに住んでいたとき、隣に住む黒髪の男にあこがれ、その黒髪と一緒に住んでいた赤髪の男に性的興味を持たれた。黒髪の男に会いに部屋をノックしたとき、黒髪の男に「うせろ」と言われた。その後、二人っきりで会ったときに「もう外に出るな」「俺じゃあいつを止められない」と言われる。その後、黒髪と赤髪の二人は子供ばかりを狙って殺した罪で捕まる。タカシはビデオだけでなく実際に人を殺してみたいと言う。それを聞いてシュウは自分が殺されそうな気がする。タカシが「シンを殺っちまおう。あいつ、死にたがってるよ」とシュウに言う。シンとサトルは男同士だが肉体関係がある。シンはそのことを公表したくなかったが、サトルはそれを公言した。タカシはそれを「シンは俺の男だから手を出すな」という意味にとる。サトルにあおられて、タカシはマジでシンを殺人レイプしようと思う。シンはタカシに殺されてもいいかなと思う。シュウはシンに「まだ逃げられる、本気にしてないんだったら、逃げろ」と言う。シンはシュウに「このまま生きてて退屈しないのか」と言う。タカシはシンをベッドに縛りつけ、ナイフで体に刻み込む。シンには携帯電話を持たせてあり、シュウにつながっている。タカシはシュウにビデオを回して欲しかったが、シュウは殺人を好きじゃない。シュウは携帯を持ってベッドの奥で怖がっている。五歳の頃、殺されかけたシュウの記憶がよみがえる。シュウはタカシに「おまえおれがチクったりするとかって、考えないのか?」と言う。タカシは「おまえ、おれがホントにやると思ってんの?」と言う。タカシは快楽殺人を実行する。
YOU LOVE USの売り
この黒田晶さんは前回の文藝賞で「HELL YHAH!」を出し、最終候補作品に残っている。その最終候補作に残った作者の次回作ということで当然注目度は高い。登場人物は四人とも帰国子女で、作者が千葉生まれのイギリス在住二三歳。そのため日本語英語混じりの横書き小説。文章に太字・四倍角・白中抜き文字が混じる。ハードボイルド文体がカッコイイ。私が辞書を引いた言葉だけ列挙しても。
Slut/売春婦。DENY/否定する。ティピカル/典型的な。KITTYがKIDDY PORNでNO KIDDING/子猫ちゃんが幼児ポルノ店でマジになってる。ランプ/立体交差点などの通用傾斜路。ディファイン/定義する。Ghetto blaster/公共の場で大きな音を出す巨大ラジカセ。Hypnotism/催眠術・暗示。Weed/雑草・マリファナ・役に立たない人・やせたひょろ長い奴。Muchas gracious/とても優雅な。
と多い。英語が大量に出てくるというのは文藝を読んでいるような中学高校生には知的で、異国情緒のあるかっこいい印象を与えると思う。
一人称文体のため地の文で心理描写をするのだが、定点観測ではなく地の文の私が途中何度か入れ替わる。始めはずっと同じ人物を維持し続けることで安定感を出し、クライマックスが近づくにつれて、視点の移動を繰り返すことで緊張感とスピード感を出している。
スナッフビデオに出てくる殺す側=大人と殺される側=子供。そのビデオを観ているときに、気分が悪くなった主人公=シュウが幼児期殺されかけた話をする。読者=主人公=シュウ=ビデオで殺される子供がここで一致する。同時にそのビデオを喜んで観ている他の友人がビデオの中の大人=殺す側=幼児期にシュウを殺したかもしれない赤髪の男と重なる。タカシがシンを快楽殺人しようとするとき、シュウは二人を止めようとするが止められない。このときシュウと「俺にはあいつを止められない」と言った黒髪の男が重なる。主人公=シュウ=読者が快楽殺人ビデオを観て喜んでいる友人に殺されるかもしれないという、物理的・肉体的ホラーから、主人公=シュウ=読者はタカシの快楽殺人を止められないかもしれないという、心理的・倫理的ホラーに変わり、最後は快楽殺人を犯すタカシの一人称になって終わる。つまり、主人公=タカシ=読者=快楽殺人者になり、加害者意識を残して終わる。恐怖の質が殺される可能性から、殺しを止められない可能性、そして殺しを楽しんでしまう自分へと昇華されていく。「DEAD END」と書かれたエンディングからもう一度、物語の最初に戻るとHi,kids!Do you like violence?になる。これは小説の冒頭であり、かつ小説内のビデオの冒頭でもあり、かつこの小説内のようなことは実際には経験してないにしても、ホラービデオぐらいはあんたも観てるでしょ?という問いかけにもなっている。現実を多少大げさにはしているが、現実に特撮物のホラービデオぐらいは観ている読者に、そのビデオ&欲望の延長に、後味の悪い加害者意識が残るような心理的ホラーを提供している。
肉蝕のあらすじ
上京し一人暮らしをする主人公の女性が、父が危篤だと聞いて田舎に帰る。一ヶ月の休暇をとって田舎に帰ったが、父の死には立ち会えなかった。主人公は残りの時間を田舎の和風旅館で過ごす。旅館では猫と仲良くなり彼と色々な話をするようになる。猫は旅館の池のそばに住んでいて、おたまじゃくしと仲が良い。猫は日々大きくなるおたまじゃくしをうらやましいと思う。おたまじゃくしは変化し続ける自分の体に不安を感じる。主人公は第二次性徴のときの体の変化を思い出す。姉と家出をしたとき、田舎から町に出るためのバスが中々来なくて、結局父に連れ戻されてしまったこと。姉は自分にとっていつもあこがれの対象であったこと。一度目の誕生は自分の意思ではない。でも、二度目の誕生は自らの意思だ。蛙の子が池という母体から出るのは彼の意思なのだ。けれど私は周囲の流れに沿ってここまで来ただけで、自由だと感じたこともなければ肉体の統率にも成功していない。精神の成長を拒否してしまったのだ。妄想に苦しむ私は睡眠作用のある風邪薬を大量に飲んで眠ろうとする。
次の日、旅館の人に庭の池におたまじゃくしなんていないといわれる。猫の話は作り話だったのか。いや、猫も蛙の子も、自分の作り出した幻影だったのではないだろうか。予想に反して深夜、猫は再びあらわれる。「蛙の子がついさっき、池を出ました。彼は自分の恐怖に打ち勝ったんだ。」そう言われ、猫とともに池に出る。蛙の子は見当たらないが、蛙の子が出てくるまで外で待つ。蛙の子は見えないまま、朝日が昇り、白い夢が私を取り巻く。姉と一緒に家出をする夢。バスに乗り込んだ後、骸となった私の体だけが残される。
肉蝕の売り
一七歳の高校生が自分より年上の女性を主人公に古風な随筆風の小説を書く早熟ぶりはすごい。ただ、第二次性徴にまつわる大人になることへの恐怖。というテーマはいかにも高校生三年生らしい。
作中の性描写が古風なのに個性的。蛸は食べる物が無くなったときに自分の足を食べるというシーンだ。
「蛸が餌を食べる風景は、心底不気味なものだった。第一、蛸の口はその形だけでも十分に気味が悪い。あの美しい女性の口に、どこか雰囲気が似ている。生きている間中、貪欲に獲物を求め、吸い付けるあの吸盤も最低だ。あんなものに吸い付かれるのは絶対にごめんである。ぷつぷつのいっぱい付いた足を、ひだひだの奥の口に入れ、食べる。神経を通って痛みが全身を駆け巡っていく。」
蛸の口が女性器の隠喩であることは明らかで、かつ自分の足を食べる蛸という設定と作者が女子高生であることからいって、セックスよりもより身近な自慰を意味している物だと思われる。自分の性器を不気味だと思い。かつ、やりたくないと思いながらもついやってしまう自慰についてこれだけ独創的な描写が出来るのは一つの才能だといえる。
二〇〇〇年度第三七回文藝賞 応募総数1578編 選考委員 石川忠司 多和田葉子 藤沢周 保坂和志
受賞作「YOU LOVE US」(一九五枚)黒田晶(くろだ あきら)一九七七年千葉県生まれ。受賞時イギリス在住でユニバーシティ・オブ・ブライトンに在学中、二三歳。
優秀賞「肉蝕」(百一枚)佐藤智加(さとう ともか)一九八三年愛知県生まれ。受賞時愛知県立天白高校三年、一七歳。
選考委員の言葉
「ガーリーサウンド」「肉蝕」「YOU LOVE US」の三つが最終選考に残る。
「ガーリーサウンド」
作中の一フレーズ「わたしが大学に入ってから一年半がたっていた。その間に合計四十三キロ痩せて、四十三.五キロ太った。きっと大学になんて入らなければ良かった」。気のきいた文章をキメようとするあまり、まったくどうでも良いことを書いてしまっている。(石川)
このフレーズの元ネタは村上春樹氏の「風の歌を聴け」だが、名作からの使いまわしは勉強しているではなく、不勉強だと受け取られるようだ。また、気取っているのが悪いというよりも、気取ることで作者が書こうとしたカッコ悪い部分が書けなくなっているという指摘もある。
語り口が気取っているためにカッコ悪くなった。主人公の考えていることはカッコ悪いことなので、気取らずきちんとカッコ悪いところまで書く方がいい。(保坂)
退屈さ加減を描写する文章まで、本来孕まれるはずの政治性が欠落し、稀有なほどダルくなった。むしろ一度、徹底的にポルノグラフィーを書いてみたらどうだろうか。(藤沢)
作中に、「ドストエフスキーの愛人で分裂症で自意識ゼロの女」について小説を書いた、という箇所があるが、わたしはむしろその小説の方を読んでみたい。(多和田)
「肉蝕」
細胞の話、寓話的な動物の話、同僚や家族の話が混在してるのも良かった。(多和田)
自己存在を巡る妄想が世界のすべてに繋がることの、どうしょうもない狂気を、今度は書きながら削いで絞り込む作業が必要だと思う。(藤沢)
と混在をほめる声と絞込みを求める声の二つが上がった。また、一見古風な作風に見えて型にはまらない文章をほめたのが石川氏。
「YOU LOVE US」
文章が最も面白い。(藤沢)
小説ながら「小説」という様式を超え、ダイレクトに読者とつながろうとしているかに見える。(石川)
という声と、その逆に
小説として仕上げるためだけに何度も何度も書き直した感じ、で「あんたから小説じゃないと言われたって、これは小説だ」という気概はない。「アブナイ小説」かもしれないが、「小説かどうかがアブナイ」わけではない。(保坂)
という声がある。小説という形式を超える小説が期待されているようだ。
でてくる場面は市販のビデオをつなぎ合わせただけという気が時々したが、ビデオを言葉で再生産すれば、言葉を使っているというだけの理由で、一種のズレが生まれてくることが分かって、それは面白かった。この作者の模倣作業は丹念で執念に満ちている。(多和田)
また、個々の作品を離れたメッセージとして、
応募する皆さん、人物を取り巻く情景をもっといっぱい書きなよ。そうしないと小説のつくりが単層になって、言葉がランナウェイして現実と乖離してしまう。(保坂)
三作品とも、心身二元論を前提とした作品になっているが、その前提そのものを疑う必要がある。「死」が簡単に導入されてしまうのは二元論に原因があるのかもしれない。(保坂)
作品世界がどうにも若くて、かったるく、恥ずかしく、独我論的なのだ。(藤沢)
この選考委員に投稿する際にはこの辺の注文も考慮したい。